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ブレイクした食べるラー油とはどういうものか

2011
27
June

食べるラー油は2010年大ブレイクをおこした商品です。口コミで人気はどんどん広がってき食べるラー油をつかった料理などを居酒屋や料理店などでメニューとしてだしているお店もたくさんありました。食べるラー油はスーパーマーケットなどでは入荷されてもすぐ売り切れてしまいなかなか当時は手に入れることが難しかった商品です。フライドガーリックがはいっているのでごはんにかけて食べてもおいしいですし冷奴やサラダにかけてもおいしく食べることができます。2010年度のヒット商品、食べるラー油は、本当に手に入れるのが大変な商品でした。お店の棚には必ず「入荷待ち」「一人一瓶まで」という但し書きがありました。メディアの影響と、実際の店舗での商品不足により、食べるラー油に対する期待がますます高まりました。実際の味は、期待を裏切らないものでした。カリカリのガーリック、辛いけど美味しい、というなんともいえない感じは、なぜ今までなかったんだ、と思った人も多いはずです。ご飯だけではなく、様々な料理にも使用できるところも魅力です。手に入りにくい理由がわかりました。
 今から7年前の春、今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手・宮城両県の三陸沿岸を歩いた。明治から昭和初期の地震学の泰斗、今村恒明(明治3〜昭和23年)の足跡を訪ねる連載の取材のためだった。

 明治29年に38・2メートルの大津波を記録した岩手県大船渡市の綾里白浜地区(旧綾里村)も訪ねた。当時の村の人口の半数以上にあたる1350人が犠牲になった。37年後の昭和8年にも津波で200人近い村人が命を失った。

 明治の津波後に現地を訪れた今村は絶句した。村人が沿岸の更地に再び家を建てていたからだ。

 「津波が来たら逃げるしかない。最初から高台に住んでいれば、難を逃れられる確率は高くなる」

 そう強く訴えた今村だが、漁には不便であり、当時は名の知れない若者の言葉に耳を傾ける人はほとんどいなかった。

 昭和の津波後、地震や津波の権威として名声も高まっていた今村は再び現地に入った。子供の時に明治の津波で一家を失い、大人になった昭和の津波で再び新しい家族を失った人もいた。今村は再び村人に訴えた。

 「もう君たちの代には、こんな大津波はないだろう。しかし子孫のためを考えるんだ」

 高所移転はいよいよ本格化した。海岸の背後にある山を切り抜いて土地を造成し、住宅は高所に、漁のための納屋・物置は海岸近くにと助言した。三陸沿岸の高台には至る所に「此処(ここ)より下に家を建てるな」といった教訓の石碑が建立された。

 78年後の今回の津波で綾里白浜地区の人的被害はなく、建物の被害もほとんどなかったという。

 長々とかつての取材記を振り返ったのは、東日本大震災を受け、政府の復興構想会議などが高所移転の必要性を指摘しているからだ。当時の政府に高所移転を働きかけていた今村にしてみれば「何をいまさら」と言いたいところだろう。

 7年前の取材後、社会部から政治部に異動して驚いたのは、政治家の防災に対する無知と無関心さだった。平成7年の阪神大震災直後は、そんなことはなかったのだろう。建物の耐震基準は強化され、被災者生活再建支援法も制定された。だが、阪神大震災から10年近く経過し、防災が政治の表舞台で話題になることはほとんどなかった。

 それでも当時与党だった自民、公明両党には防災に熱心な政治家もいた。地味な存在だったが、今後日本国内で必ず起こる大地震、大津波に備えた施策を考えるために定期的に勉強を重ねた議員連盟もあった。

 民主党政権はどうか。地震や津波関連の議連があるとは聞いたことがない。政権交代の目玉として新設した政府の「国家戦略室」が、国家戦略を大きく狂わせることが確実な大地震、大津波への備えを真剣に検討した形跡もない。

 今さら後の祭りで、微力さをさらすことになるが、民主党政権の要路に「大地震は必ず起こるから、平時からの備えを教育を含めて真剣に国民と考え、実施していくべきだ」と訴えたこともあったが、聞く耳をもってもらえなかった。

 なにしろ政権交代をかけた21年8月の総選挙で「コンクリートから人へ」をスローガンに掲げた党のことだ。鳩山政権は政権交代直後、子ども手当などの財源捻出のため各省に22年度予算概算要求の再提出を迫った。あおりで当時67%にとどまっていた公立小中学校の耐震化の事業費で、文部科学省は8月時から約1700億円少ない1086億円にしぼった。野党の反発を受けて最終的に前年度並みを確保したが、公共事業費は18%削った。

 今回の被害は人災か天災か−。東京電力福島第1原子力発電所の事故を含め、こんな議論がある。今や菅直人首相はじめ民主党政権の閣僚らは「想定外の災害」「未曽有の災害」という言葉を頻繁に使い、自らの不作為を正当化しようとする。歴史の教訓を知ろうとさえしなかった不勉強を恥じるどころが、リーダーシップの強調と保身に力を入れる菅首相と民主党政権は、まぎれもない人災を起こしたのだ。

 今村は昭和4年、すでにこう警鐘を鳴らしていた。

 「日本は世界に冠たる震災国だ。国家も個人も地震に対して無関心ではありえないはずなのに、関東大震災が起こっても、まだ無関心だ」

 「地震は地殻の振動であり、人力で制御することはできない自然現象だ。震災は造営物に対する地震の影響が主であり、人間が自ら招く災禍である。努力次第では防止することができる人為的現象だ」

 政治家は今度こそこの言葉を肝に銘じて行動するしかない。悲劇を繰り返さないためにも。

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